チャレンジ精神の欠如した受け身の状況からの脱皮は難しい。
そして、リスクと不安に苛まれる。
いままさに、日本中がそんな気持ちになっているように思える。
書籍業界、玩具業界、墓石(石材)業界、そしていま修行をしていること。
或る意味、電気、衣料、大手量販店やIT企業など、最先端の荒波に晒される業種というよりも、非常に保守的な業界に接してきた。
ここ数年来、意図的に参加して来た起業家たちの若い世代との大きなギャップというものが鮮明になっている。
そこで顕著に感じるのが、やはり歴史を学ばず、歴史に学ばないという断絶でもある。
それは、パソコンという機器の普及という時代によって大きく分かれているようにも思える。
そして、スマホといった端末機器の普及によって、既にパソコン時代をも通過して行こうとしている。
このような時代に、どうすれば対応して行けるのか。
それは、あらゆる企業にとっての課題となっている。
或る意味、保守的と言われる思考形態においては、昔ながらの発想に拘束されている。
特に、企画や広告宣伝においてそれは顕著に表れていると感じる。
新聞などの折り込み広告の効果が無くなったと言われて久しい。
呼べど叫べど市場は踊らず。
業界内でも企業内でも、その事に真摯に向き合うことなく、本音の議論を尽くすこと無く、迷路に陥っている状況を垣間見る。
つまり、他の模倣であっても政治や経済任せであってもいけない。
創作力、創出力と言ったものが求められ、そのチャレンジの一歩を踏み出せなければ後塵を浴びる。
他の状況を見て「私もそろそろ・・・ねばならない。」では既に遅い。
また、過去の経験の中の美味い部分だけをピックアップして物事を構成も失敗の終わるだろう。
リスクを恐れるよりも、リスク無き挑戦といったノウハウが、あらゆるものにおいて不可欠な要素となっている。
そういった事は、ここ十数年の間に墓石業界で思ってきた事に象徴されるようだ。
これ見よがしはダメ。
つまり、「当社はこんな歴史があります。」「私はこんなに頑張っています。だから認めてください。」方式は通用しないのだ。
ニーズからウオンツへの移行。
市場のウオンツを引き出すことこそが提案力であり、企画力であり創出力という事が出来る。
かねがね抱いて来たその確信が、生き残るための、あるいは未来を形成する為の不可欠な現実のものとなっている。