墓石という商品

09.21

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リボン 003

真言密教の布教による葬儀と建墓の習慣が始まって900年近くを経てきました。当初の墓石は埋葬塚の上に五輪に刻んだ石の柱を建てることから始まりました。それが位牌型になってきたのは、五輪塔に加工する石に対して頭を丸めるだけの墓碑は庶民に取ってリーズナブルであるという価格の問題もあったのではないかと推測されます。そして、それが時代と共に台石付きになり、二重台になり、更には花立てや供物台などの付属品が付いた大きく豪華な形になってきました。また、大きな屋根笠の付いた大名墓などは、豪華なお位牌そのものの形状を墓碑化したと言ってもいいでしょう。韓国の墓碑にもほぼ同じデザインのものがあります。

真言密教の五輪塔、天台宗の宝きょ院塔、多宝塔、更には僧侶の無縫塔(これは、道元が宋より伝えたと言われています)など、それぞれに供養塔として形作られてきました。また、それらの供養塔は江戸時代を含めて宗派による隔ては無く建立されて来ました。現在の四角い墓石の頭の形状が異なるのも宗教的意味は無く、地方色という範囲のことです。

現在では標準ともなっている墓石(納骨式)に戒名板(霊標・墓誌・法名碑など)を付属させた形は、火葬の普及による社会基盤をもとに都市部で発生してきたものであり、やがて地方へ火葬の普及によって全国に広まってゆきました(昭和40年代ごろ~)。それに伴って、子供たちが両親(夫婦)を祀るための墓石から、当該家の代々の遺骨を納める納骨用墓碑へとその性格が変化してゆきました(お骨の納め方は地方によって異なります)。また沖縄などは大陸や朝鮮半島の影響を強く受けた様式のように思えます。

さらに、古くからの墓碑がたくさんある家の場合には、50回忌供養(昔は33回忌まででした)を終えた先祖を五輪塔や宝きょ院塔の供養塔一基に纏めて祀り、代々墓に併設するという形も生まれてきました。これは、昔からの形式ではなく、継承してきた墓地の面積的制約や先祖供養におけるお墓づくりの形の一つとして半世紀前ごろから生まれてきた形です。また、ある地域では五輪塔(納骨式)+戒名板という形が普及しています。日本の仏教の歴史から言えば、角型墓碑+戒名板よりも本来の墓石としての意味を持ったものと言えるかも知れません。

私たち墓石業の仕事は、今まで発展・継承してきたお墓づくりを基礎にして、より良い品質、より良いデザイン、より良い機能、より時代にマッチした優れた商品としてお墓を考えて提供(制作販売)してゆく事にあります。その意味でも、今日までのお墓の在り方や変遷などを検証するとともに今後の墓石業界が置かれてゆく環境を踏まえて、どういう方向性を見出してゆけばいいのかという問題を深く掘り下げて行かなければなりません。石材(墓石)業界の物づくりを発展させなければならないのですから。

 

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