物づくりと職人技

08.08

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パナソニックなどの大企業も個人の石材業も本質は同じ。

あらゆる物づくり企業は創出する物(商品)によってのみ評価される。

生産拠点が海外であっても、何に疑問を持ち何を考え、何をデザインし、その製品を社会に提案してゆくことでどんな貢献が出来るのか。どんな自らの未来を切り開いて行けるのか。その本体は日本にあり社内にあるのです。
つまり、事業規模の大小に関わらず、どんなに長い歴史や立派な設備や店舗があっても、生み出す物に魅力が無ければ未来は創造できません。
その意味でも、未だに過去の栄光から抜け出してチャレンジをしてゆく事が不可欠です。 ニューデザインと称するお墓、非常に凝ったデザインのお墓、あるいは小手先アイデアを凝らした置物墓など、過去の延長線上の発想においての試行錯誤はされていますが、急速な少子化時代に向けての取り組みを含めて現在の石材業界は混沌としています。

最近は「終活」といった言葉が持て囃されています。新しい話題性を持っているのでしょう。NHKのクローズアップ現代(2013.08.27)などにも採り上げられ、翌日のニュース9ではお墓に対する考え方も変化してきている状況が報道され、墓石業界に取っては由々しき事態です。

しかし、それとは関係無く、死観、先祖観、お墓観などといった変化は業界自体にも前々から判っていたことであり、それにいかに対応するかというテーマを解決してゆくこと以外にありません。では、何をどう考えて行けばいいのか。私たちは今まで業界として、或いは一企業として一体何を検証し何を議論し何を研究をしてきたのでしょうか。もちろん「やってきた」と言う方は居られるでしょう。ても、どんな視点や観点や関わりの中での発想だったのでしょうか。お客様に仏教や道徳の啓蒙し先祖を敬う心を取り戻してもらうことで従来の市場が回復する訳でもありません。お寺様のような説教も、石屋が言うと「あんた何様だ?」ということになってしまいますし、仏様にお願いしても解決策は生まれません。

かと言って、韓国・中国の時代を経て、今から日本の石材加工技術をかつての時代のように再興しようと思っても虚しい努力となってしまいます。私がこの業界に来た35年前にいち早く思った事は、美術や芸術界と異なり石材業界の石彫物などの作品に対する付加価値は信じられないほど皆無に近く、また意匠権の全く存在しない業界だということでした。もちろん、石屋という職業そのものに対する社会的認識や、石かセメントかも見分けられない人が高価な灯篭を買いに来て言いたい放題になるといった時代でもあったからでしょう。

現在の先の見えにくい状況を迎えている要因の一つは石材業界自体にあり、その検証と分析と対策というものが急務だと考えてきました。しかし、職人としての自信と拘りの発想から見えてくるものは限られ、極論すれば売り手の発想による情報発信であり、斬新な発想と自負はしてみてもその実は自己主張と言う「看板(自己顕示)」の域を出ないことが非常に多かったように思います。

他業界で一通りの事を経験してからこの業界に転職して35年。文字彫刻に始まり、加工、施工、営業と常に実務を通しての客観的視点がら石材業界を見つめてきた私の考えや発想は常に10年~15年は先行してきました。それは、外来専務であり職人であるという立場ゆえに見えすぎるほどに見えてきた現実でもあったのでしょう。

 

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091006 003特別設計灯篭

 

(つづく)

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